メビウスリング U |
この人はある意味、素直過ぎるんだ。 自分の欲求に素直だ。 人が臆して言えない言葉もこの人はすんなりと言えてしまう。 それはとても脅威だ。 他人が駄目と言っても何で?と首を傾げて尋ねるだろう。 この人にとっては当たり前だからだ。 自分の欲望に忠実になることは。 だから他人はこの人を我が侭だと言う。 俺もそのうちの一人だ。 この人が言う我が侭は些細なものだ。 だから皆、その我が侭を聞き入れてしまう。 仕方がない、と。 些細なもの。 そう、確かに些細なものだ。 跡部部長と試合がしたい。 眠いから寝たい。 詰まらないから嫌だ。 好きだから好きと言う。 些細だが大胆な本音。 聞き入れてしまうのは素直になれない己の代わり。 そんな訳ではない。 けれど余りにも素直に恥じらいも何もなく言えてしまうこの人が …確かに時折、羨ましいとは思う。 俺も…部長と試合はしたい。 だがこの人は素直なだけじゃない。 実はその裏で計算してるんじゃないのか? 打算的な行動過ぎて疑ることもある。 もしも本当に、計算だとしたら…こんなに怖い人はいないだろうな。 この人の瞳は綺麗で自分に正直な人。 その瞳で人の本質や嘘を見抜く。 勘が鋭い、んだろうな。 だから俺の気持ちにも気付いた。 俺が向日さんを見ていることに。 尊敬じゃない、恋慕の視線。 「ひよ。」 「日吉です。何度言ったら分るんですか」 「分ってるって。だけどおれの中では日吉はひよなんだよ」 「何ですか、その理屈は」 俺の腕の中で大人しくしている姿はこの人に似合わない。 この人はもっと…もっと、何だ。 俺はこの人を知りもしない。 知ろうともしない。 向けられる真っ直ぐな視線から目を逸らして来たんだ。 俺が好きなのは、向日さんだから。 背中に廻された手が酷く罪悪感を増長させる。 痛む背中を労わるように撫でるこの人が酷く…哀れだ。 こんな俺に触れるだけで穢れる。 神聖視してる訳じゃない。 この人だって人間であり男だ。 テニスに関する欲求だけじゃないだろう。 まあ…大半はそうだろうが。 「何がしたいんですか、あなたは」 「ひよを幸せにしたいだけ、だって」 「馬鹿でしょう、あなたは」 「…あとべがうっせーから、帰ろ」 「はい」 「おれはひよが好きだっから」 「………はい」 この人の素直と向日さんの素直は種類が違う。 この人は周囲をよく分かっていている…否、分ってしまうからこそ言葉を選んでいるように思う。 人の思いに敏感なんだ。 それに比べて向日さんは空気が読めない人だ。 言ってから後悔するタイプだからな、あの人は。 …自然、口元が緩む。 この人の位置からは俺の顔など見えない筈なのに、この人は気付いてしまうんだ。 それは不幸なのか幸せなのか…俺には判らない。 「ひよ?」 「…芥川さん。俺は向日さんが好きです。 あの人が俺を見ていなくとも、俺はあの人が…好きなんですよ」 「知ってるってば。おれはズルイっからさ、ひよがこーして弱って とこに漬け込んでるんだって。…だっから、いいんだってば」 哀れな程に、悲しい程に…この人は俺が好きなのか。 俺が向日さんが好きなように。 「マゾでしょう、芥川さん」 「おれはれっきとしたエスだし!」 「何ですかれっきとしたって。 じゃあ馬鹿なんですね、余程。…本当に、馬鹿だ」 「いいんだって、これで。さ、帰ろっか」 「はい」 腕にあるこの人を強く抱き締めた。 それはこの人の思いに答えられない俺からの謝罪。 言葉にするのはこの人に失礼だから。 こんなにも俺を思ってくれているこの人への、感謝の意。 ジャージを握った感触。 柔らかな髪が頬にあたる。 そこからは太陽の匂いがした。 今日降ったはずの雨の匂いが、消えた。 |
2006.10.24