メビウスリング

泣きたくなるくらいに好きなんですよ、アナタが
この俺が、ですよ
この俺が泣きたくなる心境がアナタに分りますか?

アナタは俺を見ようともしませんね
ダブルスを組むように言われた時もアナタは眉を顰め
そして忍足さんを見た

先輩のシングルスを祝っていたアナタですけど
ダブルスを組むことになった俺には一瞥もくれずただ
ただ…忍足さんを見つめていましたね、向日さん

身体は便利なもので、触れようとすれば簡単に触れられる
だけどその心に触れる為にはどうしたらいいんだ?
忍足さんだけを見つめる真摯なアナタの視界に俺を映すには
どうしたらいいんだ?

練習をしていてもアナタの視線の先には忍足さん
心なし調子が悪いのはあの人がコートに居ないからなんでしょう?

ジレンマを抱えながらの練習
長く時間を過ごすうちにアナタは俺に笑みを向けてくれた
その笑顔がどんなに嬉しかったか…
アンタに分りますか?

俺たちの夏が終った
それがアナタと俺の始まりだった

俺は二度も負けてしまった
それは向日さんも同じ
試合が終り学校へ一旦戻ることになったその帰り道
忍足さんの視線から逃げるように俺の手を引っ張るアナタ


「悪ぃ!俺と日吉はダブルス反省会してから行くわ!
 だから先に行っててくれよ」

「ちょぉ、待てや岳人。そんな後で幾らでも出来るやろ」

「今じゃねーと意味がないんだって!じゃあな!!」


頭ひとつはいかないが
俺よりもアナタは低いから…見えてしまったんですよ
その大きな瞳に浮かぶ涙が

悔しかったですよね
けどそれは忍足さんを前に負けてしまったから?
前回も今回も負けた俺とアナタ
それに比べ忍足さんはシングルスで勝利した

それが悔しかったんでしょう?

自分さえ居なければあの時も負けなかった
そう、思ってしまったんでしょう?

学校への通過点にある公園まで俺を引っ張って
そんな体力、もう残ってないのに
無茶ばかりするんですね、アナタは


「向日さん。」

「…はぁ、はぁ…はっ」


呼吸をするのさえ辛そうなアナタの背中を擦れば
その手を払い除けられて
俺にどうしろ、と?

俺はアナタが好きなんですよ
こんな感情、認めたくないですけどね
ですけど、俺はアナタが好きだ

抱き締めれば簡単に腕に嵌ってしまう身体
子供のように高い体温
サラサラと流れる赤い髪
大きな瞳には強い意思
小さな身体から繰り広げられるアクロバティックな技

こっちを向いて下さいよ
俺を見て下さい

今のアナタのパートナーは俺でしょう


「向日さん。いい加減にして下さいよ」

「何だよ、日吉」


そんな目で睨んだって無駄だ
涙を堪えた瞳で睨んだって、余計にそそられるだけだ


「負けたのはアナタと俺の実力不足だったからだ。
 アナタはひとりで戦ってひとりで負けた訳じゃないんですよ。
 その悔しさはアナタひとりのものじゃない」

「…勝たなきゃ意味がねーんだよ!!」

「ですが俺たちは負けた」

「そうだよ!あの時も俺が…俺がしっかりしてりゃ侑士を…」

「アナタはいつもそうだ」

「何がだよ」


一言目には忍足さんの名前
侑士、侑士、侑士
そればかり


「忍足さんばかり。いつもいつも忍足さん」

「当然だろ。侑士は俺のパートナーなんだから」

「今のパートナーは俺でしょう!!」


声を荒げた俺に驚いた顔をして
そんなに珍しいですか
俺がこんな激情を表すことが


「俺だって…。
 俺だってアンタのパートナーだ」

「日吉…?」

「アンタはいつも忍足さんばかりを見て、俺なんかには目もくれない。
 こんなにアンタを見て来たって言うのに」

「お、おい、日吉?」


肩に掛けたテニスバックを地面に落とし
手が届く距離にいる向日さんの肩を掴むと小さな身体が震えた
俺を見上げるその視線が

今は煩わしい…

怯え?
その瞳に映る表情は何なんですか
今はただ、その瞳を見たくなくて
手で目を覆い隠し、赤い、赤い唇を塞ぐ

蹂躙するように

俺を見ないアナタを手に入れたって
嬉しくもない
この口付けに意味はない
ただの暴力と一緒だ
だからアナタは俺の背中を激しく叩く

それは抵抗ですか?
息が苦しいから抗議ですか?
忍足さんとも、こんな口付けを交わしたんですか?

ねぇ…向日さん

銀色の雫が俺たちを繋ぐ
アナタの瞳と唇を解放すればアナタは信じられない
そんな顔をして俺を見る


「…ずっと、アナタが好きでした。
 忍足さんを見つめるアナタを見てたんですよ、俺は」

「っ…だからって!何でこんな…」

「こうでもしないとアナタは俺を見ないでしょう」


唇を噛み締めアナタは何を考えてるんですか


「俺、は…。俺は侑士が、侑士が」

「黙って。知ってますから、そんなこと。
 アナタを見てれば一目瞭然でしょう」

「だったら!」

「それでも。…それでも俺はアナタが好きなんです」


何かに耐えるように
その姿はあの時の…忍足さんが彼女と一緒に帰る後姿を見ていた
あの時と同じ表情じゃないですか
俺はアナタに…

そんな顔をさせたい訳じゃない


「岳人〜?ひよー?」


聴き慣れた声が公園の入り口から聞こえてきた
背後を振り返れば黄色の柔らかそうな髪を持つあの人が

何で芥川さんが此処に居るんですか

睨むように芥川さんを見遣ると
気にした風情もなくのんびりとした口調と歩みで近寄って


「おっしーとあとべが心配してたっし。
 早く、帰ろ?」

「ぉ…おう。じゃあ、俺は先に帰る!」

「向日さん」


俺から逃げるようにそそくさと走り出そうとするアナタ
俺の声に何処か怯えたように肩を震わせる


「忘れないで下さい、さっきの言葉を」

「…あぁ、分ってる。じゃ、先に戻るから…」

「じゃあね〜、岳人」


俺の横で向日さんに手を振る芥川さん


「………何がしたいんですか」

「おれ?おれはねー、ひよの幸せな顔が見たいだけだっし」

「日吉です。幸せな時間をぶち壊した本人が何を言うんですか」

「あのまま岳人と居ても、幸せな結果にはならなかったと思う」

「そんなの……。分ってますよ」

「おれにしとけばいーのに。…そんなに岳人がすき?」

「当たり前でしょう。男が男を好きだなんて、半端な覚悟で…
 言える訳がないでしょう」

「そ、だよね…」


そんな顔をするな
罪悪感で打ちのめされる

どうして俺はこの人を好きじゃないんだ
この人はこんなに俺を好きでいてくれている
けれど俺は向日さんが好きで
向日さんは忍足さんが好き
この人は…芥川さんは俺を好きで

恋愛は何故、こんなに上手く行かないんだ

アナタと二センチしか変わらないこの人を抱き締めて
俺は途方に暮れる

幸せを妥協なんかしたくない
円滑に行かなくても
この恋を諦めることなんて、今の俺には出来ない






2006.10.20