rain is a feeling of the love |
水が伝う。 髪から頬へ流れ、頬から唇へ。 気が付いてしまったら…意識してしまったら、止められない思い。 跡部が知らない人間に思えた。 あのような表情をした跡部を忍足は初めて見た。 驚愕を越え、呆然とした呟きは雨音に消える。 街角を歩く二人の姿。 恋人同士の様に無邪気に笑い、手を繋ぎ雨宿りをしている。 じゃれあいながら、時折り見詰め合い絡む視線は熱い。 仲睦まじい、二人。 一人は黒髪に片目を隠した少年。 確かあれは不動峰の――――――――――神尾 その少年と一緒に居るのは見慣れた筈の綺麗な顔。 暫し時間を要したが、かれは確かに…彼だ。 「………跡部」 信じられない光景だった。 あの跡部が笑っている。 意地悪く笑う跡部の笑みは見慣れていた。 だが、今の彼はとても穏やかに…微笑んでいる。 忍足はまるで幻覚を見ているかの様な光景だった。 「あないな表情、俺らには見せてくれへんやん…」 呟きに混じるのは嫉妬と呼べる感情。 紛れる感情はそれ以外にもある。 神尾アキラに対する嫉妬 跡部景吾に対する…恋慕? 己を分析するのを得意とする忍足だったが、この感情には悩まされていた。 時を置けば「嫉妬」の感情はは薄れていった。 学校も違えば友達でもない人間に嫉妬を抱き続けることはない。 問題は…。 跡部と神尾のデートらしき現場を目撃して数週間。 忍足の視線は常に跡部を追い掛けている。 教室でも、昼の屋上、部室、テニスコート。 絡みつく熱の篭った視線で跡部を追い続ける。 今まで身近に居た人間が突然、特別に見えた。 周囲に対し敏感な跡部がその視線に気付かぬ訳がない。 日々感じる視線に苛立ちを募らせていた。 「おい」 部室から出ようとした忍足に、痺れを切らした跡部は声を掛けた。 正レギュラー専用の部室に残るのは跡部と忍足のみ。 その状況に耐え切れなかった忍足は早々に着替えを済ませていたが 跡部の方は未だジャージ姿のままだった。 「…………。なんや」 長い沈黙の後、忍足は溜息と共に振り返った。 「アン?解ってんだろうが。何で俺様がテメェを呼び止めたか」 「さぁ。何のことだか解らんわ」 肩に背負ったテニスバックは床に置き、入り口から離れ椅子へ座る。 その忍足の様子を横目に留めながらロッカーに手を掛け、着替えを始める。 「何なんだよ。ここ最近のお前は」 「だから、何のことや」 「人のことをジロジロ見やがって。…うざいんだよ」 ジャージを脱ぎ素肌を晒す跡部。 その仕草を知らず知らず凝視する忍足。 「別に見てへんて。自信過剰なんちゃう?」 「嘘吐くんじゃねぇよ。今も見てんじゃねーか」 肌に突き刺さる視線の元へ身体を向ける。 素肌を晒している跡部に冷静を装うも忍足の心臓は高鳴っていた。 その高鳴る胸と感情を必死に押し殺している様子を跡部は見遣る。 (こないな感情。俺は…認めへん) 「…忍足」 「跡部」 「あ?」 「不動峰の神尾くんとは…付きおうとるん?」 「ハッ?」 「俺な、見たんやわ。二人が一緒おるの」 「そうかよ。だから?」 「だからって…」 「関係ねーだろ。俺が誰と付き合おうが」 「まぁ…そうやな」 苦笑を浮かべ、意味もなく眼鏡を押し上げる。 その仕草を跡部は見詰めるが、直ぐに視線を逸らす。 「お…オンナ好きの跡部が男と付き合うんが意外だったわ」 「否定はしねぇよ」 そう言って微笑み跡部はとても穏やかだった。 「好き、なんか?神尾くんのこと」 「それなりに、な」 言葉の端に隠れる照れの様な音韻。 そして今まで見たことのない跡部の…顔だった。 「……。直後だったからな」 「…?」 呟き程度だった声を聞き取ることが出来ず、聞き返す。 そんな忍足に少し困ったような顔した。 「あいつと付き合いだした頃だ。失恋ってやつを体験したのは」 「…跡部でも失恋するんや?」 「馬鹿か。当たり前だろうが」 「跡部を振るような贅沢モン、顔を見てみたいわ」 意地の悪い笑みを浮かべる忍足。 心と感情が相容れない。 それが忍足侑士の悪い癖だった。 淋しい。 「淋しい訳ないやん」 恐い。 「恐いはずないやろ」 愛しい。 「愛してない」 傍に居て。 「今は一人で居たいねん」 言葉と心は正反対。 誰にも気付かれず傷付いて、悲しんで、涙を流す。 誰にも見られることがない、涙。 「・・・・・・・」 無言で、上半身は素肌のまま忍足の隣へ座る。 「あ、跡部?そないな格好でおると風邪…」 「お前はいつもそうだな」 意味が解らず首を傾げるが、更に傾げる羽目になる。 跡部が、己の肩に頭を寄せ寄り掛かって来たのだ。 当の本人は目を伏せ、意図を探らせてくれない。 「お前は馬鹿だな」 「…なんやねん、突然」 ムッとした表情を浮かべる裏、心臓は破裂寸前。 跡部の髪が擽ったくて片目を閉じる。 香水が鼻を掠め、誘われるように髪に触れた。 その行動に驚き、跡部は頭を離す。 触れていた手を素早く引っ込め、忍足は苦笑する。 「あー…スマン」 「バーカ」 再び跡部は頭を肩に預ける。 その意図が理解出来ず困惑する忍足。 それでも触れたい衝動は抑えられず、髪に触れてしまう。 上半身裸の跡部。 寄り添う二人。 こんな姿を見たら何と思われるか。 「・・・・・」 「・・・・・・・」 沈黙が続く。 寄り添えば互いの体温を感じる。 それが…心地良い。 「なぁ、跡部」 「あ?」 「神尾くんとお前を見掛けた日な。気付いたんや」 「……」 「こない穏やかな表情も出来るんやな、って」 「・・・・」 「でな、思ったんや」 「・・・・・・」 「跡部が…」 言葉の先を求めるように跡部は瞳を開き、忍足を見据える。 「跡部が。全く知らん奴に思えた」 「…」 「特別に…見えたわ」 長い、長い沈黙の末、跡部は言った。 「…言うのがおせぇんだよ、馬鹿が…」 夏が終わって、冬。 三年は揃って部活を引退した。 遅過ぎる引退に口を出す者は居なかった。 「鳳部長はしっかりやってんのか?」 卒業を控えたある日。 新しく部員を率いることになった鳳に活を入れる為に集まった三年生たち。 殆どが氷帝学園高等部への進学を決めていた。 無論、跡部と忍足も例に洩れずエスカレーターに乗った。 夏の部室での出来事は夢のようだった。 跡部は何を言うでもなく普通に戻った。 しかし忍足は気付いた、遅過ぎる悟りだ。 跡部は自分に思いを寄せていた。 言葉にした訳ではないが、忍足は確信する。 全ては遅過ぎたのだ。 跡部の隣には神尾が。 忍足の隣には岳人が。 それでも、跡部の横には忍足が居た。 それでも、忍足の横には跡部が居た。 変わることのない関係。 叶わなかった、思い。 学校と言う枠組みに居る限り、テニスをする限り。 二人は変わらず居るのだろう。 今でも、雨が降ると思い出す。 跡部の微笑みが。 身近な人が特別に見えた日のことを。 雨が降ると今でも思い出す。 あの日のことを。 忍足が初めて笑ってくれた日のことを。 淡い想いを抱いた…はじめての日のことを。 想いは通わずとも、大切な人。 暖かな気持ちをくれた人。 雨が恋心を意識させた。 雨は優しい、思い出。 いつまでも変わらぬ、青春の雨。 |
2002.11.1 2008.03.17 |