disperse

濃厚な霧に包まれた世界。


(…また、か…)


心中でそう呟くと、跡部は瞳を閉じた。
そうしていればこの霧が晴れる事を知っていたから。
何度目になるだろうか…此処に来たのは。

現実と夢の狭間。

此処は嫌いだ。
見たくないものを見せ付ける。
触れられたくない過去の思い出。
隠している心の痛み。

それら全てが露見する場所。

夢現。
夢と言う名の現実、白昼夢。

もしもあの時…あいつの手を取っていたら。
今でも思い悩む時がある。
フラッシュバックするあいつの顔。

霧が更に色濃くなり、自分と周囲を包む。
跡部は辛抱強く待っていた。
この霧が晴れるのを。


「どないしてん、こないな場所で」

(……………)

「こっち来ぃや、跡部」

(………………)

「俺んこと、嫌いなんか?」

(…………………)

「…跡部」

(……………………忍足)

「何で名前で呼んでくれんの?」


更に強く瞳を瞑る。
瞼がピクピクと震えるが、強くきつく瞳を瞑る。
それでも声は途切れることなく跡部を誘う。


「跡部、戻ろうや。あの場所に」

(………行けねぇよ)


忍足侑士の姿は霧に溶け込む様に消えた。
切なそうな忍足の顔が跡部の心に残った。
霧は未だ晴れることがなく、跡部の周りを混沌と漂う。
隙あらばいつ何時でも跡部の心に侵入する。

夜は夜で魘される夢。
昼は誘惑の白昼夢。

霧を纏う跡部に安らかな眠りはなかった。
その原因も判っている。
跡部は迷っているのだ。
悩んでいる、後悔…している?

出会いがあれば別れも当然ある。


「俺は跡部が好きなんよ」

「何、言ってやがる」

「好きでもない男にキス、出来へんよ」

「女なら出来るんだろ?」

「それは…否定出来へんな」


その笑顔がムカつくんだよ。
眼鏡の奥に隠してんじゃねーよ。
本当の声を…本音を言えよ。


「言って、ええの?」

「言え」

「……どうして、俺を捨てたん?」

「…………」

「ダンマリかい。跡部はズルイわ」

「…お前には…。お前には岳人が居るだろうが」

「岳人?確かに可愛い相方や。けど、跡部にだけや」

「何がだ」

「欲情するんは跡部にだけ。
 抱きたいと思うんも跡部だけや」

「真顔で言うな。言うんじゃねぇよ…」

「ホンマのことやし。それに跡部以外には勃たへんねん」


何度、肌を重ねただろうか。
抱かれることに慣れた身体。
今はもう…受け入れることが出来ない忍足。


「傍に居て欲しいねん。それが叶わんのやったら…」

「…忍足?」

「…もう…」

「名前を呼んでや、跡部。したら…」

「……………」

「………………」


霧が晴れた。
忍足の傷ついた顔を最後に。
いつもこうして、霧を遣り過ごして来た。

もう居ない。
もう、抱き締められることもない。
一人では抱えられない。

だから跡部は抱き締めた。
忍足以外の人間を…。

霧は晴れた。
けれど跡部の心は晴れぬまま。
どんよりと沈んだ梅雨の空模様。
霧が晴れた歩道をゆっくり、歩き出す。

いつもと同じ、挑む様な自信に満ち溢れた顔で。

身体の裏側には、未だ霧が立ち込めている。
重たく、誘惑する彼の涙がこの霧を作り上げていた。






2002.06.25
2007.08.12